移民政策の先駆者・故坂中英徳さんを偲んで

移民政策の先駆者・故坂中英徳さんを偲んで

元東京入管局長で移民政策研究所所長の坂中英徳さんが2023年10月20日、虚血性心疾患のため亡くなった。78歳。法務省入国管理局に30年在職し、在日コリアン問題や移民政策などに強い問題意識を持った異色の官僚だ。外国人の置かれた厳しい現実と正面から向き合った。退官後も信念を貫き、独自の立場から移民政策の策定を訴えてきた。十数年にわたって親交があった私は、坂中さんから大きな影響を受けた一人だ。坂中さんの遺徳を忍び、その足跡を振り返ってみたい。

◆第一話 入管戦記◆

坂中さんが亡くなったことを耳にして、私は書棚にあった坂中さんの著書、「入管戦記」(講談社)に改めて目を通した。出版されたのは退職直前の2005年3月だから20年近く前のことだ。帯には「反骨の官僚“ミスター入管”初めて語る」とある。一見、ヒーローのような体裁だが、入管行政の課題を明らかにし、自身のポリシーをぎっしり詰め込んだ良書である。

定年を前に依願退職することは、坂中さん本人から事前に聞いていた。そうしたタイミングに本を出版する場合、自らの経歴に箔をつけることを目的にしたケースが多い。しかし、ある種の覚悟を持って坂中さんは本を出版したように思う。そこには政治批判や入管当局への苦言を盛り込んだ。私は出版記念の集いに招かれ、励ましのスピーチもした。そのパーティーは入管官僚に区切りをつけ、新たな人生のステージへの旅立ちの場だったようだ。

そもそも入管行政の内部を書いた本は珍しい。このため「入管戦記」は、入管関係者に少なからず波紋を呼んだ。ある若手官僚に感想を聞いたら、「この本は地道な仕事で目立たない入管行政をクローズアップしてくれた。こんな本は初めてです。励みになります」と言葉を強めた。「入管戦記」は社会的な評価も受けた。出版の翌年、公益財団法人関記念財団の「パピルス賞」を受賞した。

本書を通して坂中さんの「戦い」を紹介するが、まずは、私と坂中さんの間柄について少々触れておきたい。知人の紹介で私が坂中さんに初めて会ったのは、彼が福岡入管局長時代の1998年ごろだったと記憶している。私は毎日新聞政治部デスクだったが、前任の大阪本社社会部ではしばし在日コリアン問題を取材した。一般にはなじみはなくても、在日外国人問題の関係者の間で坂中さんは極めて存在感のある官僚だった。

問題意識が重なったこともあり、坂中さんとはすぐに打ち解けた。単身赴任だった坂中さんは、福岡から月1回帰京していたが、その際に必ず事前に連絡があり、私は坂中さんと明治大学に近い神田駿河台の居酒屋で懇談した。話題はコリアン問題をはじめ、人口減少、移民政策など。話しが弾み、2~3時間があっという間に過ぎた。

退職後、坂中さんはJR水道橋駅近くに事務所を構えて「外国人政策研究所」を開設した。秘書の報酬や事務所経費は坂中ファンだという在日コリアンの実業家が負担した。事務所で月1回開いた勉強会には学者・研究者、ジャーナリスト、若手の入管官僚などが参加した。もちろん私も顔を出した。その集まりでは、移民政策について熱のこもった議論が展開された。

その後、事務所をJR田町駅に近いビルに移し、団体名を移民政策研究所に改称。一般社団法人として法務局に登記もした。私は毎日新聞社を2007年3月に早期退職し、坂中さんに請われて一般社団法人・移民政策研究所の理事に就任した。理事長の坂中さんを支える立場で活動することになったわけだ。私が毎日新聞を早期退社した背景には、坂中さんの存在があったのは否定できない。

さて、「入管戦記」だが、この書籍は自身の官僚時代の取り組みをベースにした回顧録でもある。ただ、単なる回顧ものではない。表紙には「在日差別、日系人問題、外国人犯罪、日本の近未来」とあるように、坂中さんの問題意識に沿った外国人関連の事案が具体的に列挙されている。在日コリアンや日系ブラジル人などの課題や論評が多いが、計10章のうち1章から3章が入管法違反や外国人犯罪を摘発に絡む「戦記もの」だ。

1990年代には外国人犯罪や入管法違反事件が多発していた。ドラッグや売春、抗争、殺人、賭博……。暴力団につながる犯罪もあった。その犯罪が多発していたのが東洋一の歓楽街の新宿・歌舞伎町だった。東京入管局長だった坂中さんは石原慎太郎知事の要請もあって、歌舞伎町に外国人犯罪の摘発拠点として東京入管新宿出張所を開設する。

「入管戦記」には、新宿出張所の警備官の活躍ぶりのほか、外国人同士の犯罪の実態や、筋の悪い日本語学校が政府の留学生政策の不備につけこんで起こした1988年の「上海事件」も描かれている。入管がビザ発給を差し止めたため経費を払ったのに日本に入国できないことに怒った多くの中国の若者が上海の総領事館に抗議デモを行った事件で、日中間の外交問題にもなった。

さらにはフィリピンパブの摘発もあった。若いフィリピン人女性をダンサーとして「興行ビザ」で入国させ、売春を強いる悪徳業者との戦いだ。興行ビザは歌手やダンサーなどに発給されるが、フィリピンの若い女性を興行ビザで受け入れながら、ホステスとして接客させたほか、売春を強要する悪質なケースもあった。これは事実上の人身売買でもあった。

坂中さんは、特に興行ビザをめぐる問題に熱心に取り組んだ。ビザ発給に責任をもつ本省の在留課長だったからだ。坂中さんは徹底して悪質業者へのビザ発給を差し止めた。これに対し興行関係の業者から激しい反発があった。「お前は交通事故に遭うことになるぞ」などと露骨な脅迫電話が何度もあったという。加えて業者のバックにいる自民党の代議士から「お前のようなどうしょうもない頑固な役人がいるから、業界は迷惑し、俺のような政治家の出番が来るのだ」とまで言われた。

坂中さんは、悪徳業者やその後ろ盾の政治家にとって、まさに「天敵」だった。「入管戦記」には、「問題案件だとわかっているのに、審査の現場に介入してくる政治家はあとを絶たない」とまで書いている。私も何度か坂中さんから政治批判を聞かされた。

入管は外国人にとって絶対的な権力を持っている。かつて「外国人は煮て食おうが焼いて食おうが自由」と本に書いた法務官僚がいた。ややオーバーな言い方かもしれないが、入管は外国人に対しそれほど大きな裁量権をもっているわけだ。在留資格をはく奪された外国人は、日本では生きていけない。外国人は入管にたてつくことができないのが現状だ。

坂中さんはそうした入管の中では数少ない頑固一徹の官僚だ。政治家が人事の話を持ち掛けて懐柔しようとしても撥ねつけた。ただ、外国人に対し「煮て食おうが焼いて食おうが」というような高圧的な姿勢はとらない。だとしたら、外国人犯罪の摘発になぜ力を入れなければならないのか。坂中さんは「入管戦記」の中で「私の決意」として次のように述べている。

「日本人の『外国人』観を悪化させないため、取り締まるべき外国人犯罪に対しては一歩も譲歩せず徹底して取り締まり、日本に入ってきてもらうべき外国人にはきちんと門戸を開いて受け入れるというものである」

興行ビザで在留しているフィリピン人は、2004年には5万人を超えていた。だが、坂中さんの「戦い」に加えて2005年に米国務省の人身取引報告書が「興行ビザが人身取引の温床になっている」と指摘したことで政府も重い腰を上げた。入管は興行の審査を厳格化し、2006年から興行ビザの発給が急激に減少した。フィリピン人女性は「介護」での受け入れが増え、興行は2018年にわずか650人にまで減った。

テレビドラマの「刑事もの」は、勧善懲悪のストーリーが定番だ。だが、国境管理を担う入管行政は、外国人だけでなく関係業者や政治の利害が絡み合う複雑な様相を呈する。坂中さんは「入管戦記」を通してその一端をあぶり出した。

(つづく)

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