「差別の教室」を読んで思い出したこと

「差別の教室」を読んで思い出したこと

「差別」と言えば、私の場合、まずは在日コリアンに対する民族差別や根強く残る部落差別が頭に浮かびます。新聞記者としての取材経験がそうした言葉を想起させるのでしょう。最近「差別の教室」(集英社新書)という本を読みました。そこで出会った「差別」は、私に新たな視点を提供してくれました。こり固まった「差別」に関する私の固定観念を解きほぐしてくれたとも言えます。「差別の教室」を通して改めて差別について考えてみたいと思います。

https://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/1164-b/

「差別の教室」の著者は、毎日新聞の私の後輩である藤原章生記者です。南アフリカ、メキシコ、イタリアで15年間の特派員経験があります。ワシントンや北京などで主に国際政治を報道する特派員とは違い、「人間の息遣い」を伝える国際記者です。毎日新聞に載った藤原記者の連載記事やインタビュー記事には、彼の独特の感性がちりばめられています。

今回の著書は大学での講義録をもとにまとめたものです。「差別」を学問的に説き起こすのではなく、ジャーナリストらしく取材体験をもとに様々な事例を学生にもわかりやすく紹介しています。観念的、図式的にならず、工夫を凝らした切り口で差別を論じているので、いろいろ勉強になりました。

例えば、第1章では「死にかけた人は差別をしないか」という意表を突くような問題設定をしています。第4章の「ジョージ・フロイド事件と奴隷貿易」では、今なお続く黒人差別について、歴史的な観点から差別を論じています。第7章の「名誉白人、属性に閉じ込められる不幸」は、日本人を指す「名誉白人」という言葉の起源を教えてくれました。また、第8章の「心に貼りついたものと差別と」では、自らの差別感覚を解き明かします。

書評を書くほどの知見がないので、ここでは印象に強く残ったことに少しだけ触れておきます。ジョージ・フロイド事件の4章の中に「母語を失うということ」という小見出しの小論がありました。「母語を失う」とは何だろう。小見出しに誘われて何度か読み直してみました。

ジョージ・フロイド事件は、2020年5月にアメリカのミネソタで起きました。白人警察官が黒人のフロイドさんの首根っこを押さえつけ、死に至らしめた事件です。ショッキングな黒人差別として日本でも大きく報じられました。この事件に関連して藤原記者は、南アフリカのノーベル賞作家のナディン・ゴーディマさんの言葉を紹介します。

ゴーディマさんは「アメリカのレイシズムは覆いようのない悲劇です」と嘆き、「南アフリカから見ると、アメリカの黒人は絶望的で比較になりません。彼らの悲劇は自分たちをアメリカ人だと思えないところにあります」と言うのです。その理由については、次のように語っています。

「やはり言語、母語の喪失が大きいのです。母語は故郷だと私は思います。母語を維持していればどこへでも故郷を持ち歩くことができるのです。でも、アメリカの黒人は母語から無理やり切り離され、自分たちが切り離され、自分たちが何者なのかを自分たちの言葉でかたることさえできない。これは悲劇です」

ピンとこない人がいるかもしれませんが、「母語は故郷だと思う」は、私にとって琴線に触れる言葉です。海外の日系人など日本にルーツのある人たちが熱い想いで継承語(日本語)教育に取り組んでいます。在日のミャンマー人やネパール人が子どものために開いている「母語教室」にも心が動かされるものがあります。日本が朝鮮半島を支配した時代には、朝鮮語の使用を禁じ、日本語を強要した歴史もありました。軍国主義は、コリアンたちの故郷を奪ったのです。

「にほんごぷらっと」では、海外の日系人らでつくる「バイリンガル・マルチリンガル・チャイルドネット(BMCN)」の活動を紹介しています。母語教育を推進し多言語の子どもに育てようと活動する国際団体です。私がズームで開いた国際シンポジウムに参加したことがあります。日本では外国人のための日本語教育でさえまだ緒に就いたばかりです。政府や日本社会は、まだ母語教育の大切さに気付いていないようです。

 

「差別の教室」では、差別を声高に糾弾しているわけではありません。差別があることを前提に、人間の心のひだに潜む差別感覚を歴史的な視点を交えて解きほぐしています。多くの人に読んでもらいたい功著です。蛇足かもしれませんが、最後に私自身の記者時代の「差別も思い出」に簡単に触れておきたいと思います。

40年ほど前の話ですが、先輩記者が書いたあるショッキングな記事を今でも覚えています。大手書店の社員採用に関する内部文書を暴露した記事です。在日コリアン、被差別部落出身者など、「採用してはいけない人」を列挙していたのです。露骨な差別文書です。その中に親が刑事、新聞記者、共産党員も含まれていたと記憶しています。「自分も差別される側なのか」と複雑な気持ちになったのを覚えています。

社会部記者として大阪府警捜査4課を担当していた時、幹部との会話も鮮明に覚えています。1980年代の半ばのことです。捜査4課の主な捜査対象は暴力団、右翼、総会屋です。大阪には山口組内の最大組織の柳川組がありました。組長は柳川次郎さん。韓国名は梁元錫(ヤン・ウォンソク)です。柳川組は「殺しの軍団」として恐れられていました。柳川さんは日本で最大の暴力団である山口組のトップの座を狙える地位にあったのです。

しかし、柳川組は解散し、柳川さんは東京で亜細亜民族同盟という右翼団体を旗揚げします。柳川組を解散に追い込んだのが知り合いの捜査4課の刑事でした。その刑事がこう言ったのを覚えています。

「ワシが柳川に解散届を出させたんや。チョウセン人を山口組の組長にするわけにはいかんだろう。柳川は小学校もまともに出ていないのに、えらい達筆で解散届を書いていた」

「チョウセン人を山口組の組長にするわけにはいかない」。柳川組の解散は大阪府警として意思決定したことでしょうが、刑事のその言葉遣いに戸惑い、二の句が継げなかったのを鮮明に覚えています。

柳川さんとは1989年ごろ、人を介して取材を申し込み2度会っています。2度とも東京・坂のコリアンレストランでランチをご馳走になりましたが、いずれも同席したのが同胞の大山倍達さんでした。極真空手の創立者の武道のカリスマです。かつての武闘派だった2人は物腰も柔らかく、まさに好好爺の雰囲気でした。

にほんごぷらっと編集長・石原 進

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