日本語教師の熱い想いを伝える「日本語学校物語」 文科省の担当者に読んでほしい

日本語教師の熱い想いを伝える「日本語学校物語」 文科省の担当者に読んでほしい
昨年暮に出版された「日本語学校物語」(ココ出版)を読んだ。「開拓者たちのライフストーリー」という副題があるように、1980年代に日本語学校を始めた経営者らの物語だ。登場する8人のうち3人が、「物語」の刊行を待たずに物故者となった。日本語学校はとかく「負の側面」が取りざたされがちだが、本書からは関係者の日本語教育に対する熱意がひしひしと伝わってくる。
かつて日本語学校の経営者や教師の経験者から「日本語学校は、留学生に日本語教育だけでなく住宅の世話をはじめ様々な生活支援をしている」と聞いた。実際に留学経験のある在日中国人の実業家が、日本語教師を「人生の恩人だ」と言い、同窓会で会ったことを嬉しそうに話してくれた。「日本語学校物語」を読んでそんな昔話を思い出した。
さて、「日本語学校物語」には登場する「開拓者」は次の人たちだ。目次に記されたメッセージとともに紹介する。
「学習者への敬意と感謝を心に」公益財団法人京都日本語教育センター代表理事・
西原純子さん
「留学生に学び、留学生を守る」公益財団法人アジア文化学生協会元代表理事・
小木曽友さん
「日本語教師を続けなければならない」新宿日本語学校校長・江副隆秀さん
「日本語というリンガ・フランカで世界の友を持つ」コミュニカ学院元学院長・奥田純子さん
「型にはまらない、自由な日本語教育をめざして」カイ日本語スクール代表・山本弘子さん
「挑み続ける心を忘れない」インターカルト日本語学校校長・加藤早苗さん
「つながりからつくる、つながりをつくる」アクラス日本語教育研究所代表理事・島田和子さん
「なんぼのもんじゃい!」アイザック東京国際アカデミー元校長・緑川音也さん
この8人に対し、武蔵野美術大学教授の三代順平さんと山野美容芸術短大特任准教授の佐藤正則さんがインタビューし、それぞれの語りを文章にまとめ編集した。この間、小木曽さん、江副さん、奥田さんの3人は物故した。3人にとっては遺言ともいえる著書となった。
中曽根康弘首相が1983年に「留学生10万人計画」を発表したのがきっかけとなり、日本語学校が雨後のタケノコのように林立した。中曽根首相はフランスのミッテラン大統領との会談でフランスに多くの留学生がいることを聞き、日本でもその受け入れが必要だと考えたようだ。
しかし、留学生受け入れと日本語学校の運営に関する法的な枠組みが整備されていなかった。そうした中で、日本に来たのは多くが中国の若者で、彼らを労働者として受け入れる日本語学校が急増したわけだ。マンションの一室を教室と称し、十分な教材も整えない日本語学校も少なくなかった。
こうした状況に政府は手をこまねいていなかった。労働目的の留学が急増したのに気づいた法務省入国管理局がただちに留学生の受け入れを差し止めた。日本留学を目指し渡航費を収めながら留学できない中国の若者が抗議活動を展開した。上海の日本総領事館の周辺を数万人の若者が取り巻いた。
1988年に起きたこの騒動は上海事件と呼ばれ、日中間の外交問題にもなった。自民党から入管に事態を打開するためビザを発給するよう迫ったが、「野放図な留学は許されない」と入管局は頑として政治的圧力をはねつけた。私は坂中英徳・元東京入管局長(故人)から当時の「入管の戦い」を聞かされたことがある。
事件の反省を踏まえ、その翌年に日本語学校を審査、認定する機関が設立された。日本語教育振興協会(日振協)だ。日振協は日本語学校の関係者の集いの場にもなり、独自に日本語教育の在り方の研究にも取り組んだ。
日振協は1977年に日本語教育セミナーを箱根で開催した。参加したのは日本語学校の校長や教務主任など約30人。参加者は温泉にも入らず、朝まで日本語教育の議論を展開した。このセミナーは「箱根会議」と呼ばれ、「日本語教育の原点」として関係者の間で語り継がれている。
「日本語学校物語」の登場人物の個々のヒューマンストーリーを紹介する余裕はないが、「はじめに」の中のインタビューした編者がその想いが書いているの、さわりの部分を紹介しておく。
「インタビューが終わるたびに、80年、90年代の黎明期の熱気とそれを40年も胸に抱いている先生方のまさに命懸けともいわんばかりの日本語教育への想いにあてられ、しばらく唖然とたちあがれませんでした」
出入国在留管理庁長官の初代長官だった佐々木聖子さんが、入管局長時代に会食した際、「日本語学校の歴史は入管の歴史です」と語ったのを覚えている。入管サイドが日本語学校と密接な関係にあったとの認識を率直に語っていたわけだ。
超党派の日本語教育推進議員連盟によって2019に日本語教教育推進法が制定されたあと、2024年には日本語教育機関認定法が施行された。この法律によって日本語学校と日本語教師は公的な地位が付与された。併せて文部科学省に日本語教育課が新設された。職員が70人にもなる大きな課だ。文部科学省組織令は日本語教育課の所掌事務について「外国人に対する日本語教育に関する事務」と定めている。
日本語教育機関認定法により、日本語学校は日本語教育課によって監督、指導を受けるようになった。ただ、日本語学校は800校を超え、外国資本のファンドによる経営から、他業種からの参入、さらには公立の日本語学校も設立されている。
こうした多様な日本語学校をどのように指導、監督していくのか。日本語教育は多文化共生社会の基盤をつくる重要なインフラだ。文科省の「日本語行政」の取り組みが問われることになる。担当職員の方はぜひとも「日本語学校物語」に目を通し、熱い想いを行政の中に引き継いでもらいたい。
にほんごぷらっと編集長・石原進